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企業団設立まで

企業団設立まで

昭和40年、矢本町と鳴瀬町は増加する水需要を補うために、石巻市からの分水を計画し、施設の建設工事に着手しました。そして、3年後の昭和43年5月、従来の市・町といった行政の枠を越えた広域行政の一環として、石巻市から給水量の全量分水を受けることとなりました。
一方、石巻市では、昭和54年、第5次水道施設拡張事業が終了したものの、一日の最大配水量が68,000トンを記録し、施設の稼働率が96%に達するまでになったことから、引き続き第6次の拡張事業が開始されようとしていました。しかし、事業の認可申請にかかる厚生省(現在の厚生労働省)との協議で、2町に対する全量分水は全国的にも類をみないものであることから、2町を石巻市の給水区域に含め、給水区域の拡大を図るか、水道事業を統合して一部事務組合を設立し、経営の一元化を図るかの、どちらかを選択するよう行政指導がなされました。そのため、国や県の指導・助言を得ながら、石巻市・矢本町・鳴瀬町で検討を重ね、当時は用水供給事業のみに適用されていた「広域的水道整備計画」の特定事業に採択されるよう国に要請しました。
その結果、将来の末端給水による広域水道事業のテストケースとして予算要求がされ、全国初のケースとして昭和55年度の国の広域的水道施設整備の特定事業に採択されました。しかし、その推進には水道法に基づく「広域的水道整備計画」の策定が条件でした。そのため、石巻地方の1市9町(石巻市、雄勝町、牡鹿町、女川町、河南町、河北町、北上町、鳴瀬町、桃生町、矢本町)は、宮城県に対し、早急に計画を策定するよう要請しました。また、石巻市、矢本町、鳴瀬町の1市2町は「石巻地方広域水道企業団(仮称)設立協議会」を設置し、協議を続けました。
昭和55年、「石巻地方広域水道企業団(仮称)設立協議会」は1市2町の水道事業を統合して、新たに「石巻地方広域水道企業団」を設立することに合意、9月6日にその調印式が開催されました。また、県でも「石巻地方広域的水道整備計画」を策定し、国に報告したことで、昭和55年10月9日、知事から設立の許可が下りました。
昭和55年10月14日、水道事業の経営認可申請に対する国の許可が下り、「石巻地方広域水道企業団」が誕生しました。 
(写真は、昭和55年9月6日の企業団設立協定書への調印式。左から、菅原矢本町長、青木石巻市長、尾形鳴瀬町長。)
(昭和55年9月6日の企業団設立協定書への調印式。左から、菅原矢本町長、青木石巻市長、尾形鳴瀬町長)

企業団設立から現在まで

 昭和55年に企業団が設立されて以来、1市2町を構成市町とする石巻地方広域水道企業団は、創設事業、漏水防止対策事業、配水管整備事業などのさまざまな事業に着手し、同時に水道使用者へのサービスを拡大させてきました。
 平成17年4月1日、「平成の大合併」と言われる全国的な市町村合併がピークを迎える中で、企業団を構成する市町がそれぞれ合併しました。石巻市が周辺の6町(河北町・雄勝町・河南町・桃生町・北上町・牡鹿町)と合併して新たな「石巻市」となり、矢本町と鳴瀬町が合併して「東松島市」となりました。その結果、新2市体制での石巻地方広域水道企業団が誕生しました。
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